作家より

横山伸一の造形表現とそのコンセプト

1961年生まれ 

日本工芸会正会員

独学で師匠を持たず25歳で独立して早27年、現在52歳

JR伊部駅南山手にある国指定南大窯跡の近くに、ランマ作りによる登り窯と半地下式穴窯を築窯し以降毎年5月・11月の年2回の窯焚き窯出しを行います。制作にはロクロ以外に蹴ロクロや紐作りによる柔らかな歪みを好んで作陶しています。

好きな言葉は「無作為の意」
そこに近づくには、自然とかかわり、人とかかわり様々なことに興味を待ってまずは、自分を磨く事だと思っています。お客様からも色々教えてもらい、釣りに養蜂・食べ歩き・ゴルフ・菜園と多趣味にリフレッシュして毎日、土と向かい合い作陶しています。





対談後記

「横山伸一はおおらかな人だ」

子どもの頃、近所の備前焼き工房に忍び込んで土をひねって遊んでいたという。時代も寛容なよい時代である。高校時代には陶芸部で活動しながら古備前研究家 桂又三郎氏の古窯跡発掘にアルバイトとして参加。目の前に突然現れた「油壺」の完品に衝撃の感動を覚えた彼は将来の道を確信した。卒業後、陶芸センター研修生を経て大衆窯の職人を務めるも自らの陶芸を求めて独立し大南窯を構えた。偶然ではあると思うがお隣は人間国宝「伊勢崎淳氏」のお宅である。

横山は特定の師を持たない、逆に多くの先輩に教えを乞い有言無言の教示を得ることとなる。これも彼の人柄によるところも大きいのではなかろうか。特に私淑している先輩が発掘の時代からであろう「原田拾六(はらだしゅうろく)氏」や「中村六郎氏」である。お二人とも文学的というか文人好みの名工と言って良いと思うが、この偉大な先輩への憧憬を携えながらも横山伸一の世界を築いてきた。どの作品もその天賦の才を感じさせるが、私の好みといえば大壷などのたっぷりとした作品で、彼の人物をそのまま映しているかのように感じる。

彼の目指す作陶のキーワードは「無作為の作為」である。この哲学的命題を私なりの解釈をするなら、作為の伝わる作は鑑賞者の予定調和の範囲でしかなく、それを超えた美的刺激を与えることはない。かといって「何も意識せずに」が良いものに繋がるという訳でもはない。手が覚えた技も実は無意識に同じものになってしまう難点もあるということだ。作家のなかで永い年月醸成された技と美意識が作陶の一瞬に昇華する、その時の思考の速度は人の認識できるそれをはるかに超えており、視点もぼんやりと全体を見渡している様子は何も考えていないかのような錯覚に陥る。そんな状態で作品に向かうのが「無作為」の心境なのだと思う。

この心境にいたれば作陶も思うがままということだろうが、実際にはそうもいかない。青い鳥を求めてさまよう幼い兄妹のように横山伸一の精神がいつか自分の掌中にそれを感じとる日が訪れるまで日々の仕事に明け暮れる、それが陶芸家の宿命なのかもしれない。しかしその過程が作家を鍛えるのであって、彼は充分にそれに応えてくれるだろう。我々もその歩みに寄り添っていきたいと思う。

<対談後記:近重博義>

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